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故 曾呈奎氏の思い出
中国の著名な海藻学者 曾呈奎(C.K. Tseng)氏は2005年1月20日,96歳で死去された。
曾呈奎氏は1909年6月18日に中国福建省厦門で出生,厦門大学で藻類学を学び,その後中国沿岸の海藻の分類学的研究をはじめた。1940年にアメリカにわたり
Michigan 大学で William R. Taylor 教授の下で研究を続けて1942年に理学博士の学位を得た。太平洋戦争のために戦後までアメリカにとどまり,1946年に中国に戻った。青島の山東大学の教授に迎えられ,1959年から中国科学院海洋研究所での更に広範な研究を開始した。1991年に退職してからは名誉研究所長として研究指導だけでなく,社会的な面でも活動を継続していた。
曾氏の主な関心は海藻の養殖と産業化にあった。しかし,1930年代の中国では中国人自身による海藻研究が行われておらず,まずどのような海藻が生育しているかという分類と分布の研究から始めなければならなかった。こうしてアメリカに滞在した戦争終結までは分類学的研究をおこなって,中国産海藻の種類と分布を明らかにした。
中国に戻ってからは,それまで大連で大槻洋二郎氏がはじめたコンブ養殖の技術を拡大して,より温暖な海域でも養殖する技術を開発して,大規模な養殖事業を定着させる努力をした。
次に,1950年代に入ると,アマノリ類の生活史の研究も開始し,黒木宗尚氏や太田扶桑男氏につづいて採苗技術を開発した。コンコセリス糸状体に形成される胞子嚢につくられる胞子に"殻胞子
conchospore" という術語を提唱した。
このような多方面の技術開発でこれまでに無かった産業を創出した功績も大きい。
私が曾氏にはじめて会ったのは,1984年 University of Guam で開催された "Workshop on Taxonomy
of Economic Seaweed" のときだった。Workshopはハワイ大学のAbbott教授がCalifornia Sea
Grant College Programの後援で組織され,日本からはオゴノリグループに北大水産学部の山本弘敏さんとホンダワラグループに私の2人が招かれた.そのとき曾氏はすでに75歳だったが,きわめてお元気のようすだった。この会ではホンダワラグループを曾呈奎氏と台湾の
江永綿(Young-Meng Chiang) 氏と私の3人で構成し,1つのテーブルを囲んでそれぞれ持参した標本を前に種類についての議論をした.曾氏と江氏は中国語で会話でき,江氏と私は日本語で通ずるが,3人で共通の言語は英語という状態で,非常に緊張した1週間を過ごした。
その後,Workshop は1986年中国青島,1989年 San Diego, California, 1991年札幌北海道大学,1993年
Honolulu, Hawaii, 1995年 Kuala Lumpur, Malaysia, 1997年 Phuket Island, Thailand,
1999年 Nha Trang, Vietnam, 2002年 Hilo, Hawaii で開催された。曾氏は1995,2002年の Workshop
には出席されなかったが,そのほかの会には元気な姿を見せてくれた。
ホンダワラ類の分類に関してはいつも議論を戦わせた.曾氏は W.A. Setchell 教授をひじょうに尊敬しており,教授の "Hong
Kong Seaweed" の分類体系をかたくなに支持していた。それに対し私はつねに批判的であり,なかなか一致を見なかった。ヒジキの所属について曾氏は
Setchell に従ってホンダワラ属に含めることを主張し,私は岡村金太郎先生の意見により,別属として扱うという意見を強調していた。
2000年になって,私は分子系統の研究結果からヒジキがホンダワラ属のなかでもウミトラノオのグループに近いという結論を得て,ヒジキをホンダワラ属の一員として認めることにした。同じ2000年に発行された「中国海藻誌−褐藻門」のなかで曾氏はヒジキ属を留保つきながら記述している。
曾呈奎氏は中国で学術・政治の両面で傑出した人物であり,彼の部下に当る陸保仁氏などはそばにいるだけでひじょうに緊張した状態にあった。私はそのような関係が無いので議論を戦わせることができた.9回開催された
Workshop は私にとってかけがえの無い経験の場だった.曾呈奎氏の偉大な功績を偲び,ご冥福を祈っている。
Workshop に招いてくれたハワイ大学の I.A Abbott 教授に感謝している。また,曾氏の経歴などの情報の入手には有賀祐勝氏のお世話になった。ここでお礼申し上げる.
(吉田 忠生)
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